ロンドンで大福! |
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2016年 09月 11日
抹茶大福作りました。 イギリスの焼き菓子も好きですが 時々、和菓子が恋しくなります。 でも、ロンドンで買うととっても高いので。。。 しかも一個じゃたりませんから。。。笑 なので自分で作って、たくさん食べます。! この間、抹茶大福を作り、 カラオケの時におやつとして持っていったら 大変好評でつくり方などきかれまして、 ちょっと嬉しく、自信もつきまして。。。 レシピ載せますね。 それが 超簡単!! なのです。 だって、面倒くさかったら作りたくないですものね。 電子レンジで3分です。!!! まず 材料はこれ。 中華店で売っている£1.5ぐらいのもち米の粉。 もち米の粉 120g カスターシュガー 35g お好みで抹茶 小さじ1 水 180g ガラスのボウールに入れて混ぜる。 電子レンジに入れて 約1分20秒ほど チン! そうするとまだクックされてない このような状態。 それを再び電子レンジに入れて、1分30秒ほど チーン!! それを 片栗粉。。。。は高いので、 コーンスターチの上に ドカッとおく。 コーンスターチをまぶす事で 手にくっつかず取り扱いやすい。 それを8等分。 熱いうちに手に広げて、小豆あんをのせる。 茶巾寿しのように四方からまとめる。 電子レンジから出来立てはとても熱いので火傷しないように でも、手早くが キー と思います。 まとめたら、結び目を下にして、表面を撫でる。 8個できました。 小豆は、Waitrose のを使いました。 普通の小豆よりも粒が大きくてふっくらと煮れました。 圧力鍋で30分ぐらい。 煮れたら残った水分は捨てて 乾燥小豆と同じ分量の砂糖(カスターシュガー)と塩ひとつまみ。 弱火で小豆を練っていきます。 もったりするぐらい。 冷めるともっと固まって 大福にいい具合になります。 それでは いただきまーす。(笑) よろしかったらクリックお願いいたします。 #
by daisukilondon
| 2016-09-11 08:28
| お菓子
2016年 06月 28日
チャールズ・ダーウィンの住んでいた村 ダウン・ヴレッジ散策。 村の中心地にはまず教会。 もともとは 13世紀の頃からという St Mary the Virgin 教会。 この教会の墓地にダーウィンの奥さんエマが埋葬されています。 教会の建物の上の方に ダウン村に40年間住んいたダーウィンを記念する日時計が見えます。 ダーウィンはウエストミンスター寺院に埋葬されてます。 教会側から見た村の交差点。 村の 「ハイストリート」 というからには。。。 それなりにお店があると思いきや。。。。 なぁ〜にもありません。(笑) パブが2件ほど。。 カフェはあったけど こんな村でそんなにお客さんが入るのかなぁ。。。ですが。 窓ガラスのところにティーカップが飾ってあって可愛い。 結構大きなカフェですよっ。 誕生日パーティなどの予約も受けてるようですから それなりに需要があるのかなぁ? 月曜日が休店のため お客の入りがわかりませんが。。。 覗けるように、カーテンは引いてあったので。。。。 素敵なお家のお庭。 さて、ダーウィンの家までここから徒歩6分ほど。 途中で歩道がなくなります。。。。 車の音がしたら 道の端っこによって車を通し、再び歩く。 まだ10時前でダーウィンの家が開館前なので せっかくですから 近くをぶらぶら。。。 あ〜〜のどかですヨォ〜。 道が誘ってますから 導かれるように。。。。 近くのダーウィンの家の庭からは 垣根を刈り取っている機械のブゥ〜んという音が良く聞こえました。 鳥が ♫ チチチチチーーーッ て鳴いていました。 のどかですー。 そしたら ダーウィンが頭をスッキリさせるために 1日3回は歩いたという Sand Walk につながります。 林もあり、鬱蒼としてます。 愛犬と一緒に何周もこの道を歩いたらしいです。 考えを巡らせ、巡らせ。。。 今日はとってもいいお天気具合で、暑くもなく寒くもなく。 なので、草ぱらでちょっと一休み。 おやつは、 JAZZ APPLE こちらのりんごは小さめですから 皮ごと食べます。 シャキッとした歯ごたえでジューシーで美味しいりんごです。 近くにプライベート機の空港 Biggn Hill Airport があるので 小型機が飛んでいきます。 さてダーウィンの家も開館した頃ですので。。。 庭から見た ダーウィンの家。 子供が10人いたので増築を重ねました。 庭でお茶もできます。 庭を散策。 ダーウィンの住む前からあります桑の木。 ダーウィンがミミズの研究をしていた ワームストーン。 庭も広いですからっっっっっ。 ベンチもたくさんあります。 立派なイチイの木。 でも、ここが一番居心地良さそうです。 こんなところで座っちゃうと気持ちよくって寝てしましそ〜。 庭の花壇の手入れをしていた 庭師が働く横で、 ちょっと寝てしまいました〜。(笑) チャールズ・ダーウィンの家の見学と散策のツアーを行ってます。 興味のある方は みゅうロンドンに問い合わせください。 #
by daisukilondon
| 2016-06-28 06:00
| イギリス郊外
2016年 06月 20日
「朝の散歩もおしゃれして」の続きです。 帽子の話でしたね。 帽子はそれまで宮廷で流行っていた 髪を高く高く結い上げるヘアースタイルから変わって 巨大な帽子を頭にのせる、 かぶるというようり のせる ファッションに変わっていきました。 それは ヘアースタイルが 結い上げるのではなくて、ボリュームのある ヘッジホッグ(ハリネズミ)ヘアースタイルとなりましたからで。。 ここでも「自然回帰」の影響だそうです。 髪は短く巻き毛か縮れ毛になり、 高さよりは幅が広がっていきました。 それでも髪に粉はかけられてたみたいで、 髪やカツラに振りかける粉に税金がかけられるまで、 流行りました。 そして、ちょこんとのってる帽子はビーバーの毛皮でできているようです。 イギリスでは乱獲しすぎて 16世紀の頃に絶滅したようですから このビーバーの毛皮の帽子も 北アメリカからの輸入物。 そこに巻きついたリボンも素敵ですね。 帽子には ダチョウの羽がついてます。 イギリスにダチョウはいませんから、 これまた南アフリカからの輸入物。 さて、二人とも左足を前に出して歩調が合ってますね。 その足元、 靴のバックルにも注目してみましょう。 このバックルもブローチのように 取り外せるアクセサリー。 これもスティールでしょう。 スティールを見せたいのだから、 幅広くシンプルに飾りなく。です。 でもちょっと前のファッションは バックルにダイヤ、あるいはイミテーションダイヤなどを 飾り付けていたそうです。 それがキャンドルライトにまばゆく輝いたそうです。 こんな感じでしょうか。 ケンウッドハウス(博物館、美術館)には バックルのコレクションが展示してあります。 あとこちらもぜひ。ご覧ください。 このお二人、洋服にたくさんお金かかってますが 装飾華美といった印象はなく すっきりと流行を取り入れて とてもスタイリッシュですね。 画家のゲインスバラの手にかかると さりげなく、かっこよくなるかも。。ですね。 ゲインスバラはこの時代 貴族や上流階級の肖像画を描いて生計を立てていました。 本人は風景を描きたかったのですが、 まだ風景画だけを買ってくれる人はいなかったのです。 ですから肖像画を描き、 その背景は画家の自由だったそうなので、お得意の風景を描きました。 モデルは実際に外に立っていたわけではなく 画家の演出です。 アトリエで二人の肖像画を描き、 風景は自分のスケッチから描きおこしました。 二人の門出を祝って 朝の清々しい空気の中、歩んでいく二人。 ゲインスバラならではの軽妙な筆使いも これからの希望で気持ちが浮き立っていく感じがします。 犬も絵画でのおきまりの 貞節や忠誠を表しますね。 二人の門出を素直に祝福したい気持ちになる絵です。 よろしかったらクリックお願いいたします。 ファッションから見るナショナル・ギャラリーのツアーも行ってます。 #
by daisukilondon
| 2016-06-20 06:19
| 絵画
2016年 06月 14日
ウィリアム・ハレット夫妻(朝の散歩) 1785年トーマス・ゲインスボロ作 ナショナル・ギャラリー、ロンドン 結婚したばかりのハレット夫妻の肖像。 朝の散歩に出かけているようす。 一緒の方角を見て 手に手を取り合い 前に進む。 清々しい朝の感じが伝わります。ね。 結婚記念の絵ではありますが、 「朝の散歩」というさりげないタイトルもとっても爽やかでいいですね。 この絵は2m40cmの高さの大作。 等身大の絵です。 ふむふむ。 新婚でも大きな邸宅にお住まいなのね。 さすが、貴族ですなぁ。ぷぷっ。 さてさて、 とにかく、 この二人のファッションは当時の最新流行! 実際にこんな格好で散歩に出かけたかはさておき。。。 まず、ボタンがスティール製。 鋼鉄!がこの時代はやりました。 時は産業革命の時代。 その落とし子がスティールで スティール製のボタンや靴の飾りバックルが大流行して、 ダイヤモンドよりも輝き 人々の目をくらましたそうです。(笑) ですから、このウィリアム君も スティール製のボタンを これでもかっ!! っていうぐらい着けてます。 上着のコートは羽織るだけのジャケットなので ボタンを閉じることはなかったそうで、 ボタンホールは飾り。 そこに 7つ、そして袖の折り返しに 3つづつ、 ポケットのカバーのところに 3つづつ 後ろの切れ込みの横に 上中下と3つ、計22個。 中のボタンは閉めて着ます。 こちらのボタンは少々、小さいながらも7つ、 ポケットカバーに3つづつの計13個。 この絵では金色のベストのちょっと見えてるところが またおしゃれかしら。。。 半ズボンにもボタンが4つづつ付いています。計8個。 なので、合計43個 !! 高価なスティールをたくさん使うことで ステイタスシンボルでもあったのでしょうね。 そして、靴のバックルもスティールを使って飾られました。 その輝くばかりのスティールファッションを 風刺した絵があります。
Steelbuttons: Coup de Bouton, etching by William Humphrey, c. 1777. LewisWalpole Library, Yale University 巨大なボタンの付いたジャケットを着た紳士がやってきます。 ボタンからビーム光線を発光し、 ご婦人は眩しくて直視できない。 あれ〜っ。 カツラが重すぎて その重さで後ろに倒れてしまいそう。はははーっ!(笑) でも、このファッションは アングロ・マニアというイギリスファッションとして ヨーロッパで大流行したそうです。 イギリス心酔のフランス人が 「イングリッシュ・ジェントルマン」、カッコイイ! みたいな感じでイギリス風に着こなす。 さすがフランス人、 それがまたカッコよく、 グランドツアー (イギリス貴族の卒業大旅行。)から 帰ってきた貴族のご子息たちは エチケットを学んだフランスで、 プチ・メトールと言われている、そのファッションを真似っこ。 逆輸入したそうです。!!! ファッションはおフランスから、 っと思っていても 案外違ったかもね〜。 さて、 ハレット夫人は 白いドレスに黒い帽子。 ↑こちらも見てください。 同じファッションですよっ。 これはモスリンの木綿を胸元にさらっと巻く当時のファッション。 東洋からの贅沢品として輸入していたもの。 このモスリン、輸入ものなのか、 産業革命の落とし子なのかはわかりません。。。。 1799年に ミュール紡績機が考案され モスリンの生産に必要な良質の綿糸が製造されるようになりました。 そして大量生産が可能になったのです。 だから、 み〜〜んな、着てたのよ。 旦那さんも 産業革命の落とし子のスティールを身につけていますから、 奥さんも 紡績機で生産された モスリンかもねっ。 なんでも、かんでもモスリンで。 それは、その素材が絹とは違った簡素な感じの柔らかさ。 ちょうど、その時代の 「自然回帰」の思想とマッチして 田園風スタイルとして流行したんですね。 はじめはペチコートなどの下着だったそうです。 そのファッションはイギリスからフランスへ。 また、これもですか〜。(笑) それをマリーアントワネットが宮廷で流行らせました。 白いモスリンのシュミーズを着て。。。 下着ファッションみたいなものです。 昔で言ったら、マドンナ、 今なら Victoria's Secret みたいなものかしら?(笑) そのシュミーズドレスを着て カッコつけてるマリーアントワネットの肖像画を見て、 母のオーストリア大公マリア・テレジアは嘆き 娘の行く末を心配したそうです。 。。。。。。。 さて、白いドレスというとウエディング・ドレスですね。 でも、当時は「ウエディングドレス」というのは 特に無かったようです。 ウエディングドレスという衣装と それを白に定着させたのが ヴィクトリア女王と言われてます。 ヴィクトリア女王の日記 この絵では 白の奥さんと黒の旦那さんとの 絶妙なバランスで描かれています。 そこに彼女の黒い帽子で粋なアクセント。 この帽子も大事なファッション。 それはまた次回に。 汗💦 よろしかったらクリックお願いします。 ファッションから見るナショナル・ギャラリーのツアーも行ってます。 ガイドのお申し込みはお問い合わせは sachiko@kujira.co.uk まで。 #
by daisukilondon
| 2016-06-14 19:20
| 絵画
2016年 06月 12日
ロンドンは広〜く グレーターロンドンは金融の街、ザ・シティを除き、 32の行政地区から成り立ちます。 思い立って、 散策に出かけました。 ロンドン郊外とタイトルにつけましたが、 厳密に言うと、 ロンドン市の中の郊外散策です。 私が住む ブロムリー地区は ロンドンの中で 一番緑の多い地区だそうで、 ケント州にもまたがっています。 でも、住所は Kent ではなく Bromley, London なのです。 グレーターロンドンの中に入っています。 そこで、 今回のウォークは Farnborough Village to Keston Walk 。 夫がGPSを駆使して作ってくれた地図を頼りに回ります。 このウォークは全長8キロほど ゆっくり歩いたり、写真撮ったり、で 2時間半〜3時間ぐらい歩きました。 途中、菜の花畑あり、麦畑あり、林ありと色々楽しめます。 写真でご覧ください。 まず、 Farnborough Village の村から スタート。 「村」、ヴィレッジ という雰囲気が感じられるところでした。 バイオリンを作っている工房がありました。 バイオリンを教わっている子供さん、 レッスン中でした。 フットパスの入り口を地図で探していたら、 おばあちゃんが 「あら、何かお困り?」と話しかけてきて、 「ああ、私もいつも歩いてるのよ、こっちよ。」 と道案内。 「この道を、曲がる。えっとぉ 私の結婚指輪が左にハマってるから だからこっちの手は右、あっそう、右に曲がってね。」って。(笑) 私もよく、右と左間違えるので あ、わかるわ。それっと、 微笑ましかったです。 (私の場合は、右と頭の中で言ってるつもりでも、言葉では左と言ってしまうんです) でも、教会の素敵な門を見つけそちらへ。。。。ついつい。 まあ、いずれ、こっちからも行けるので問題なし。 なんか お寺さんの門みたいですね。 イギリスの教会ならではの特徴らしいです。 教会に埋葬されるときは この門を通ったそうです。 教会で葬式が行われている間、 棺を運ぶ bier という手押車に棺を安置していたそうす。 Lychgate と言います。 古い英語、アングロサクソンの言葉で、 死体を意味するとか。 さて、フットパスへ。 広々として、いいですね。 ウキウキした気持ちになります。 お天気はちょっと曇りの晴れ。 暑くもなく、寒くもない ちょうどいい気候。 菜の花畑。 菜の花畑は5月ぐらいで終わったと思ったんですけど、まだ咲いていた。 栽培してるのか、空き地に咲いちゃったのか。。。? そこに とっても目立つ 赤いケシの花、ポビー。ここだけに咲いていた。 道は続きます。 広々として、とっても いい〜! 犬を散歩させてる人もいました。 そして、菜の花畑の終わりには こんな入り口が。。 えへへ、なんか 「トトロ」 の世界に入っていくみたいですね。 ジブリっぽいかも。 ワクワクしますよ。 入ると、 あら、素敵! だったんです。 ウッドランド。 ちょうど暑くなってきたので、 ちょっと冷んやり 気持ちよかった。 新緑もきれい。 林を抜けると、 広がる 麦畑。 あぜ道を通り、 そして、再び林の中に。 トトロに誘われるように。。。。なんてね。 ネトル ⇦もご覧ください。 あ”あ”〜 イラクサの小道。 両腕を脇にぎゅっと固めて イラクサに腕が触れないように 歩く。 その後 フットパスは途切れ、 道を渡って、向こう側に行かないといけない。 スピードを出す車が すぐ一歩手前。 藪から 車が来るかどうか 確かめて 道を渡り、向こう側のフットパスへ。 などなど フットパスの移動、3回ぐらいして、 こちらの道は 車の通りもなく、のんびりと。 でも、車は左、人は右 のルールで歩く。 再び フットパスへ入る。 これって、ほとんど 獣道(けものみち) 状態。 もう、万歳して歩くしかない。 ネトルの背が伸びすぎてる!! って、ことは成長したネトルほど 触れると痛い。 あ’’〜〜 足に触れて、痛かった〜!!! でも、 けものみちの向こうには 丘の上に立つ 豪邸!!!!! ナショナルトラストでもない、 プライベートな 敷地のよう。。。。 けものみち、まだまだ 続いたんですが、 こんなステップもあり、 やっと出たら、 素敵ー。 この木、カイドウ の一種かしら?綺麗でした。 そして、Holwood の林の中に。 すると、 Wilberforce Oak が!!! えっ〜、ここにあったの〜! って感じ。 Wilberforce Oak は ウィルバーフォースの樫の木。 ウィルバフォースは19世紀、 黒人の奴隷解放に尽力した人です。 この樫の木の下で この景色を眺め、 黒人の奴隷廃止について、 当時の首相 ウイリアム・ピットと語り合いました。 映画「アメイジング・グレイス」でその様子見れます。 まだ 超売れっ子になる前の ベネディクト・カンババッチが ウイリアム・ピット役で出演してます。 1788年の日記の抜粋文。 『このHolwoodの Kestonが見渡せる 見晴らしの良い 古い樫の木の根元で ミスター・ピットと話し合った。 黒人の奴隷廃止について 議会で話し合うようにする。』 と書いてます。 1788年 、 !! それから 45年もかかって、 1833年に、 やっと 黒人の奴隷廃止案が可決されました。 その知らせを聞いた翌日、 ウイルバフォースは亡くなりました。 生涯をかけて 黒人奴隷解放運動を行いました。 ウエストミンスター寺院に埋葬されています。 そんな歴史の一幕に浸りながら、 今度はこんな景色。 この土地の隣が Holwood の プライベートな敷地。 先ほどの 大豪邸がある土地。 大通りからは ゲートがあって、 敷地内を舗装された道も通り森の中にある豪邸。 先ほどの 丘の上の豪邸があるところ。 Hogwoodハウス。 ウイルバフォースと語り合った 首相、ウイリアム・ピット邸だったそう。 ですから、いろいろ歴史があって、 過去には チャールズ・ダーウインや、ウインストン・チャーチル、マーガレット・サッチャーなど 有名な人々が 訪れたという 家。 その後、色々持ち主は変わり、 2002年には 金融街で働く金持ちが £2.2ミリオンで買ったのを、 2014年に £12ミリオンで 売りに出しました。 テニスコート、室内プール、映画上映の部屋などなどがあるそうです。 誰かが買ったんでしょうねー。 どーでもいいですけどね〜。 それから てくてく、ずんずん進み、 道が開けました。 誰もいない、の〜んびりしてます。 睡蓮が綺麗。 もうウォークも終わりにさしかかり、 休憩なしでしたから、 ご褒美に、。。。 みんな大好きなアイスクリーム・バンを発見。 ソフトクリームなんですけど、 写真撮るの忘れたので、こんなんなっちゃった。笑 こんな庭の入り口があり、 大通りからまた横道に入り 家路に着く。 この日は Biggin Hill Airport で Air Show があり、 飛行機がひっきりなしに上空を飛んでました。 1時過ぎに レッドアローらしき飛行機が連対組んで飛んでったのもみました。 もしかして、 バッキンガム宮殿に向かったのかな?と思いました。 ちょうど、女王の誕生日のお祝いの Trooping the Colour が終わって バルコニーに出てくる頃じゃないのかなぁって。。。。 いずれにせよ 爆音であっという間に視界から消えて、 カッコよかったですよー。 いやぁ〜 歩きました〜。 今度は ダーウインの家のあたりを 歩いてみようかなぁ?です。 よろしかったらクリックお願いします。 #
by daisukilondon
| 2016-06-12 23:49
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