父と息子の関係 |
今年はジョージ王朝300年の年です。
各博物館、美術館などで、ジョージ王朝にちなんだ
催し物が開催されています。
ジョージ1世はドイツのハノーファーから 1714年に
イギリスに迎え入れられ
ジョージ1世として即位します。
フラッシュなしで、撮影可
王位継承してから7ヶ月後に描かれたそう。
王位継承権からはずいぶんとかけ離れていたようです。
でも、
プロテスタントだったので、
カソリックの君主を望まないイギリス議会が
ジェームス1世の曾孫でもあるゲオルク・ルートヴィヒを
イギリスとスコットランドの国王として即位させました。
ジョージ1世。ジョージ王朝の始まりです。
そして、
「国王は君臨すれど統治せず」という
立憲君主制の始まりです。
54歳までドイツにいたので、英語も全然 話せなかったので
政治に関わることも出来なかったでしょう。
イギリスも好きじゃなかったみたいです。
息子のこれまた ジョージは
父がイギリス国王になったとき31歳。
イギリスが結構気に入ったみたいです。
まあ、時期 国王なわけですから、
いろいろ取り巻きも出来たりなんかして。。。。
昨日の肖像画とはちがって、これは ミニチュアです。
で、この二人、仲が非常に悪かったと。
息子ジョージは子どもの時から父を憎んでいたんです。
それは、
ジョージが11歳のとき
母親、ゾフィー・ドロテアは浮気をしたかどで
離婚され、そして死ぬまで何処かの城に
幽閉されてしまいます。(確か、28年間も)
ジョージは、母に会うことは許されず、
一生涯母に会うことは出来なかったのです。
子どもの頃にうけた心の傷。
父とは打ち解けず、政治的にも合わない。
憎んでいたんです、父を。
で、二人の関係が絶望的に決裂するのは、・・・・
皇太子ジョージに息子が生まれたとき、
ジョージ1世は孫の、ゴッドファーザーを
ニューカッスル公爵に指名したことからで。。。。
皇太子ジョージはニューカッスル公爵が嫌いだったらしいです。
なもんですから、
"You are rascal, I will find you to give you piece of my mind."
と怒ったんですね。
たぶん、『この悪党!とっちめてやる!!』
みたいなもんでしょうか?
でも、これを聞いたほうは、。。。
ジョージのドイツなまりがキツかったので、
'find you' を 'fight you' と聞き違え
決闘への挑戦と受け止めてしまったんですね。
(えええええっっっ〜〜〜〜??!!)
ハンプトン コート パレス
(上のハンプトンコートパレスをクリックすると find you ~~ とドイツなまりの英語が聞けます。)
それを聞いたジョージ1世は非常に/非情に怒って、
『お前なんか勘当じゃー、とっとと宮廷から出て行けーっ。』と。
でも、孫たちを人質として取ったので、
皇太子ジョージは子どもたちを残して宮廷を去ったのです。
その後、その赤ちゃん息子は具合悪くなり
死んじゃったそうです。
皇太子ジョージは父、ジョージ1世を
『もう、一生涯許さん!!!』と、憎んでいたそうです。
ということで、
ジョージ1世に取り入ることが出来ない人たちは
皇太子ジョージの周りに集まりました。
政治的にも政府の反対派が集まり、
野党ができ言論の自由も生まれたのです。
そんで、皇太子ジョージはパーティーが大好き。
「処女が妊娠する」
というようなパーティーを開いたりするので、
人々も集まってきたそう。(汗)
ちなみに、
このジョージ1世やジョージ2世の肖像画を描いた画家は
ゴドフリー・ネラーで、
生涯の間で6人の君主の肖像画を描きました。
結構、大変だったんじゃないかと思います。
6人も。
ずっと王様のお気に入りで良かったね、
というか、そのポジションを死守するのは大変だったかもね。
お疲れさん です。
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