内助の功、キャロライン王妃 |
ドイツから義父がジョージ1世になったとき夫とイギリスにやってきました。
啓蒙主義。といったとき
何となく分かるんですが、
良く、説明出来ませんね。。。
ウキペディア読んだら、もっと混乱しました。
ム・ツ・カ・シ・イ。
要するに、ものすごい簡略した わたし流 解釈ですと
‘新しい物に目覚めていく、開眼していく哲学’ かな?
英語では、Enlightenment で、
その名の通り 「光に照らされること」光明ということですね。
で、その先駆けと言われますのは、
そうゆう思想家たちが集まってくるサロンを開いたんですね。
フランスではポンパドール婦人がそうですね。
同じ時代です。
そんなサロンを開ける、知識人たちが集まってくるのは
やはり彼女が聡明だからでしょう。
夫がジョージ2世になったとき
ジョージ1世の時代から首相だったロバート・ウォルポールとの
仲を取り持ったのも彼女です。
ジョージ2世は父が大嫌いでしたから、父の側近の首相なんて絶対嫌いだ。
と思ってたでしょうが、キャロラインの助言でウォルポールを信用し、
王と政権の関係は安定して行ったそうです。
政治的には表に出なかったけれども
誰もが彼女とウォポールとの連携でジョージ2世をおさえて
統治していたことは周知の事実だったそうです。
そんなキャロライン王妃、突然亡くなります。
どうして?
それは、
この間ケンジントン・パレスに行ったとき
ハウスガイドが
「なぜ、ケンジントン・パレスが衰退して行ったか」
という話をしてたんですが、。。。。
その話が、キャロライン王妃の死因?亡くなりかたで、。。。。
『気の弱い方や 気分が悪くなった方は話の途中で
遠慮せず退場してください。』的な 内容なので、
そういう風に前置きしてました。
それでは、その話、伝えます。
キャロライン王妃はヘルニアになったそうです。脱腸。
ずっと隠して我慢してたそうですが、ついに 倒れて
ジョージ2世は医者を呼びました。
キャロライン王妃はこの医者をヤブ医者と思ってましたから
全然信用してなかったんです。
だから秘密にしてた訳ですが。
下腹部を診察するとき
医者のかぶっていたカツラにロウソクにともる火が引火。
カツラが燃えだしたんですね。
キャロライン王妃は
『ちょっと触らないで、診察やめて。
そしたら、思いっきり
今 笑うことができるからっ!!!』
って。
はははー、なんかその場を想像出来るね。
ま、それはおいといて。
で、脱腸ということが分かって、
医者はその腸をちょっとづつ、毎日、
10日間にわたり切っていったそうです。
麻酔もない時代ですよ。
ハウスガイドはもっと細部にわたって説明してましたが、
原因はお分かりいただけたでしょう。
ジョージ2世は浮気ばっかりしてたのに、
キャロライン王妃が亡くなると号泣。
王妃の部屋を生前と変わらず残し
部屋は一つずつ閉めていったそうです。
最後は宮殿の一角にひっそりと住んで暮らしたそうです。
こちらは、現在、改築を終えたばかりの
新装オープンのケンジントン・パレス宮殿。
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