捨て子博物館/The Foundling Hospital |
捨て子博物館、
The Foundling Hospital
があります。
18世紀の頃、
ロンドンの人口は増え続け、
1700年の頃は 人口 575,000人
1750年で、人口は 756,000人
1800年になると 人口は 900,000人だったそうです。
その頃、安い酒、ジンが出回って、
6軒に1軒の割合でジンが売られ何処でも買えたそうです。
アル中になって、身を持ち崩し、育児も放棄。
一年間に1000人の子どもが捨てられ
75%の子どもたちが5歳になる前に死亡したそうです。
「ジン・レーン」ウイリアム・ホガース
酒に酔っぱらった女の人の手から赤ん坊が転げ落ちそうになってるし、
右下の人物は骸骨のようになってますね。
上流階級がパーティーして遊んでるときに
庶民の生活環境は大変だったようです。
そんなイギリスにアメリカで造船業で財をなした
博愛主義者のトーマス・コーラムが帰国しました。
たくさんの子どもたちが通りに捨てられて
ホームレスになっている。
そんなロンドンの状態をみて驚き、
なんとかしなくては、ということで、
7年もかけて人々の名前を集めて、
捨て子院設立の嘆願書を王様に出したそうです。
(お金もコネもなかったので、時間がかかったそうです。)
やっと、ジョージ2世の認可を得た
The Foundling Hospital (捨て子院)を1739年に設立。
イギリスで、最初の、そして唯一の捨て子院を設立しました。
現在、博物館となっていますこの建物で、
1926年まで捨て子院だったそうです。
(孤児院 'orphan' は子どもが親を知っているけど、
捨て子 'foundling' は親を知らない。)
いろんな事情で子どもを捨てにきた母親は、
いつかその子に会えるよう、会ったときの印のため
形見を残して行ったそうです。
小さなコインだったり、ボタンだったり。。。
そんなのがたくさん展示しています。
とても切ないです。
貧しいひとばかりが子どもを捨てたわけではなく、
なかには裕福な人もいたそうです。
婚前交渉によって出来た子どもが
捨てられてしまったそうです。
「できちゃった婚」してもらえなかったんですね。
当時は未婚の母なんて考えられなかったでしょうから。。。。
このThe Foundling Hospital の後援者、寄付者には
ウイリアム・ホガースやヘンデルがいました。
ヘンデルは1749年にのThe Foundling Hospital ために、
チャリティーコンサートを行ないました。
そのときに メサイアから ハレルヤも演奏したそうです。
大変好評だったようで
それから毎年、ヘンデルが亡くなるまで
チャリティーコンサートは行なわれたそうです。
チャリティーコンサートで集まったお金は
今日にして£500,000, 約一億円だそうです。
その指揮者用の直筆の楽譜がギャラリーに展示してあります。
感動ー!!ヘンデルの直筆の楽譜。。。
音譜が達筆で生き生きしています。
そのガラスの展示ケースには他にもいろいろ。
ホガースが The Foundling Hospital のためにデザインした
紋章の下書きや、
ジョシュア・レイノルズ(王立美術院初代所長)の
手紙の複写などがあります。
"I consider the nomination of myself
to be one of the steward as a great honor."
「世話役に推薦いただき大変光栄に思います。」みたいな。。
わぁ〜〜〜、こんな字を書くんだー、と また感動。
あと、コンテンポラリー アーティストの
David Shrigley が寄付してくれた
アートワークとかありました。
デヴィッド・シュリグリーのウェッブサイト
この人の作品好きです。
去年 Frieze Art Fair で作品売ってて、
£200だったので、
「おぉ〜〜〜、安い、買おう!!」って思って、
よく見たら、その作品を入れるフレームの価格でした。
額っ、じゃなくて、ガクッ。。。
(失礼しました〜、汗っっ。?)
それから、Grayson Perry のセラミック。
6月にホガースの没250年を記念して
"Progress"という特別展があるそうで、
そこにGrayson Perry のタペストリーも
展示されるようです。
楽しみー!!
Grayson Perry/Victoria Miro Gallery
と、このように素晴らしいものが展示してあります。
この The Foundling Hospital は
イギリスで最初の
パブリック・アート・ギャラリーでもあるそうです。
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