ジェーン・グレイ 9日間の女王 |
陰謀に巻き込まれて
17歳のときにロンドン塔で処刑された
悲劇の女王です。
9日間の女王として知られてます。
エドワード六世が亡くなり、
権力を維持していたかったノーサンバランド公爵は
息子の嫁のジェーンを女王に押し上げます。
ジェーンは王位継承権を持っていました。
ヘンリー八世の妹の孫にあたります。
病気で倒れ、死期が近づいたのを悟ったのか、
エドワード六世は自分の後継者を
ジェーン・グレイに指名します。
異母姉のメアリーはカソリックだったため、
プロテスタントであったジェーンに継承権を渡すことにします。
エリザベスもプロテスタントだったけど。。。
ジェーンの後ろにはノーサンバランド公爵がついていたからね。。。
なにしろ、ノーサンバランド公爵の息子 ギルフォードは
ジェーンの夫。
なんか、慌てて結婚させたふうにみえる。。
1553年5月に息子とジェーン・グレイを結婚させます。
その後、2ヶ月もしないうちに
エドワード六世は亡くなってしまいました。
さあ、ノーサンバランド公爵は
すぐに息子の嫁のジェーンを女王に仕立て上げます。
でも、そんなには、うまくいかなかったのよね〜。
議会や市民は
王位継承権第一位のメアリーを支持しましたから、
ジェーン・グレイは失脚。
ロンドン塔にとらわれの身となり
処刑されてしまいました。
新婚時代もちょっとしかなかったし、
牢獄は別々だったようです。
でも、ギルフォードはジェーンのことを
いつも思ってたのかな?
ロンドン塔の牢獄に彼が刻んだジェーンの名前が残っています。
ギルフォードはロンドン塔の外で処刑。
夫の遺体が処刑場から運ばれて来たのをを牢獄の窓から見て、
ジェーンは『ギルフォード、ギルフォード』と泣いたそうです。
その後ジェーンはロンドン塔の敷地で処刑。
静かな中で処刑されたことでしょう。
当時、処刑は庶民の娯楽でもあったようで、
野次馬がたくさん集まったそうです。
ロンドン塔の敷地には庶民が入れませんから
静かな中で厳かに処刑されたことでしょう。
ジェーン・グレイは
女王になったよ。という 知らせを聞いたときに
自分のあがらうことのできない運命を感じ、
気絶してしまったそうです。
ジェーン・グレイもギルフォード・ダドリーも
ただただ陰謀に巻き込まれ 無実ですが、処刑されてしまいました。
「死ぬまで生きなさい。死ぬことによって永遠の生がえられるでしょう。
生まれる時もあれば死ぬ時もある。
死ぬ時のほうがいいのです。」と祈禱書に書き残しました。
わずか、17歳でした。
この史実をドラマ化して描かれた絵があります。
The Execution of Lady Jane Grey (National Gallery)
by Paul Delaroche,1833
ドラロッシュはサロンに出展したそうです。
たぶん、その当時は すごく良く評価されたと思います。
題材が17歳の女王の処刑なんて
可哀想すぎる。。。
白のサテンのドレスがまた、ウエディングドレスのようでもあり、
悲しみをいっそう そそります。
絵も上手で綺麗。
でもねぇ〜〜、
人々の好みの流行は移り変わるのよ。。。
時代変わって、この絵は
なんか嘘くさい、安い芝居くさいってんで、
人気無くなったんだそうです。
まず、ジェーンは地下牢ではなく外で処刑されてます。
史実では、女官も、二人ジェーンに付いて来て、
ジェーンから手袋と祈禱書を受け取ったようです。
でも、ここでは メロドラマチックに気絶してたり、
壁際で身もだえたり。。。と芝居くさ〜〜〜っ。
史実では、ジェーンは自分で目隠ししたそうです、
それで、首切り台の場所が分からなくなって
パニックになったようです。
それから、首切り役人がジェーンに首を切ることの
詫びを入れると
ジェーンはそれを許したそうです。
絵の中の首切り役人は
思いっきり芝居がかってます。
斧の先がキラリと光っていたりして。。。。
と、まあ、気に入らない条件が色々で、
お蔵入りになりましたそうな。
テートギャラリーの倉庫奥深く
額から外されて、丸められてどっかいちゃったんだね。
でも〜、
70年代の頃見つかって、
『ええ〜〜〜っ、何この絵、凄いじゃ〜ん 』みたいなことで、
修復、お掃除。
何しろ、過去にはテムズ川が氾濫したこともあって、
倉庫も水浸しになったこともあるらしく、
絵の状態は非常に悪かったようです。
修復も終わり、額縁に入れて展示しましたところ、
あれ〜〜〜〜
みんなが集まって来て絵を絶賛。
今では、ナショナルギャラリーの最も人気のある絵の一つ。
だそうです。