George IV ジョージ4世 |
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2014年 11月 13日
のちのジョージ4世の若かりし頃。 優しく歌うような、それでいて男性的な声で、 そんでもって、甘い微笑みは、女性を悩殺したそうです。 (ほんとかな〜?) 背も高くって、とってもチャーミングだったそうです。 (褒めすぎ。。) 18歳ぐらいの頃なので、 ミセス・ロビンソンに熱を上げていた頃ですね。 前回のミセス・ロビンソンのブログ記事、リンクします。 この頃から 放蕩息子ぶりが発揮されるようになり、。。。。。 父のジョージ3世の頭痛のたねと成りました。 ひいては息子の愚行に悩みすぎたせいかどうかはわかりませんが、 王様はちょっと狂ってしまいました。 王様ジョージ3世は、時々 精神異常をきたしたそうです。 それをいいことに、ロンドンのクラブを飲み歩き 父の病状を詳しく言いふらし、 挙げ句の果ては父の狂気の様を真似ては 笑い者にしたりしたそうです。 ジョージ3世が病気の間、プリンス・ジョージはは摂政王になり、 贅沢し放題。 ジョージ4世になってからも 贅沢し放題。 国民の税金使って、。。。 愚行の数々。 なので、亡くなった時は 誰一人、悲しむ人はいなかったそうです。 晩年のジョージ4世は、長年の飽食の末、 お腹がビア樽のように膨らんで、ベストのボタンもはまらない 状態。 あれ、、あれー。 空のワインボトルが部屋中に転がってて、 請求書が山積み。 寝室用便器、チェンバー・ポットは溢れんばかり。 それをペーパーウエイト・文鎮代わりに使ったり。 性病の薬が何種類もあったり。 そんなんだからさぁ、 亡くなった時の新聞の記事には 王の死を悼むよりは、酷評が色々。 「親不孝者、最悪の夫、悪い国王」などなど。 とにかく、贅沢してお金を浪費、借金だらけ。 例のロビンソン夫人を囲うのも 贅を尽くした内装のマンションで、 宝石のプレゼントの雨を降らせたのが借金の始まり。 父のジョージ3世と対立する、叔父の誘いにのって、 ギャンブルするは、ブランデーをがぶ飲みするはの放蕩ぶり。 そして、ロビンソン夫人に慰謝料を払い、 今度は、年上の未亡人と秘密婚。 しかも、彼女はカソリック。 この結婚は認められず、 でも、父ジョージ3世のストレスの原因最大となりました。 まず、王位継承権のあるひとはカソリックの奥さんを迎えることはできませんし、 いずれにせよ、25歳未満の王族の結婚は 王の許可や、議会の承認を得なければなりませんでした。 もう、勝手に熱あげて結婚式しちゃったんですが、不履行。 借金は増える一方で、ついには、 40万ポンドに達したそうです。 国王の年間の宮廷費用が83万ポンドだったそうですから、 いやはや、借金、借金で首も回らなかったことでしょう。 (数字は「英国王室史話」 森 護 著 から参考) それで、借金を棒引きにしてあげるかわりに 結婚をさせることにします。 ドイツからのお姫様を迎えることにしました。 肖像画を見て決めました。。。。。 なんか、、、いやな予感。。。 ヘンリー八世もね。。。肖像画を見て結婚決意しましたし、 奥さん、ドイツからでしたし。。。 ヘンリー八世のお妃、3番目と4番目 (←リンクします。) はい、ご想像の通り、この結婚もうまくいきませんでした。 キャロライン・オヴ・ブルンスウィック。 Thomas Lawrence 作 ちょっと、スーボー (スーザン・ボイル)に、似てますね。 ミセス・ロビンソンの洗練されたファッションとは ちょっと違うかな? でも、ゲインズバラが彼女を描いたなら、 もうちょとカッコよくなったようにも思いますが。。。 この方、体臭がかなりきつかったようです。。。 風呂嫌いで、風呂に入らなかったから。。。とも言われてます。 でも、この時代、みんな風呂なんか入らないし、 臭いのはお互い様のような気もしますが、 とにかく、異様な臭いにみんな面食らったそうです。 ジョージはもう、あからさまに うぇ〜、 見たいな。 バーに駆けつけブランデーを煽ったそうです。 でも、とにかく初夜は迎えなければならず、 お務めがありますから。。。。。。 酒を煽り、ぐでんぐでんに酔っ払い。。初夜を迎えたそうです。 でも、キャロラインもジョージの容姿には失望したようです。 もう、すでに、若かりし頃のハンサムな面影はなくなってたようですから。 ジョージは性格も悪いから、 「キャロラインとベッドを共にしたのは初夜だけだ。」みたいなことを 言いふらす有様。 ジョージはキャロラインには見向きもせずに また愛人と同棲を始めたりで、彼女の居場所もなかったみたいです。 それでも、初夜の功労か、 シャーロット王妃が生まれました。 いずれ、彼女が女王になる予定でいたんですが、 ドイツに嫁に行き お産の時に亡くなってしまったんです。 それで、王位継承権が それまで遊び呆けていたジョージ4世の弟たちにも回ってくるチャンス? なので、シャーロットの死のあと みんな わらわら と結婚し始めました。 継承者を残していかなければならないし。。。。。。 それで、のちのち、ジョージ4世の弟のウイリアム4世の姪の ヴィクトリア女王に継承権が繋がっていきます。 また、ジョージの話に、戻りますと、。。 この意地悪ジョージは、 ついにジョージ4世として戴冠することになりました。 その時の衣装から、晩餐会からなにからなにまで、 豪華絢爛、贅の限りをつくし、 税を使いきり。。。 King George IV ジョージ4世の戴冠式の衣装。 このマント、うわっ、重そう。 ここでも首しめファッションですね。 ガーター勲章の鎖とかジャラジャラ。 リボンやら紐やら 色々結びつけてますね。 白いタイツに、細い足首なのよー。 でも、ジョージが戴冠したのは 彼が58歳の時。 このような姿ではなかったと思います。 髪もカツラですし、足首もこんなに細くはなかったでしょうに。 顔も若いままですね。 ギルロイが描いた風刺画のほうが、より実物に似ていたことでしょう。 王冠もデッカいですね。 特注です。!! 宝石を散りばめるのに、 全部宝石を買い取りたかったみたいですが、 議会がそれを許さず、宝石は借りました。 宝石の賃貸料は宝石の本来の価格の10%で借りたそうです。 が、 1万2314粒のダイヤモンドで覆い尽くされて フレームはダイヤモンドに隠れて見えなかったそうです。 だから、10%でも 相当な金額だったと思います。 当然、買取は無理でしょう。。。 宝石の外した王冠のフレームだけが ロンドン塔に展示してあります。 そして、ウエストミンスター寺院で戴冠式をあげるときに、 王妃キャロラインも出席しようとすると拒否されます。 底意地の悪さは ひいひいじいさん譲りですかね。。。 父と息子の関係 ←リンクします。 そのせいか、その後すぐにキャロラインは亡くなってしまいました。 憤死かも。。 でも、まあ、キャロラインもジョージには見切りをつけて それなりに男をはべらせて、遊んでいたようです。 不倫裁判なんかもあったらしいですよ。 それで、ジョージが戴冠する知らせを聞いて、 急いで外国から戻ってきたらしいです。 招待されてないのにウエストミンスター寺院まで行ったのかな? どっちもどっちかな?って気もしますが、 それがショックで亡くなってしまったのなら、 やはり彼女に、同情しますね。 ウインザー城のステートアパートメントの内装も ジョージ4世の時代に豪華絢爛に改築されました。 税金をいっぱい使ったから、 国民はそりゃー怒ります。 フランスでは市民革命がおこって、王様がギロチン送りになったんですから、 明日は我が身 とか ちょっとも思わなかったんでしょうか? 思うわけないっか。。。 でも、まあ、その改築のおかげで、 今や、ウインザー城は国賓を迎えることができる 素晴らしい宮殿なわけですね。 このプリンス・ジョージを主人公にした イギリスのコメディがあります。 「ブラックアダー」Blackadder the Third シリーズ3です。 どちらも 最高面白いです。 クリスマスの頃になると このDVD が店頭に並び始めます。 クリスマス休暇にゆっくり家族で観れるDVDですね。 買おうかな〜? よろしかったらクリックお願いします。
by daisukilondon
| 2014-11-13 02:25
| 王家の歴史
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