ヘンリエッタ・マリア |
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2015年 02月 05日
処刑された王様チャールズ一世のお妃は ヘンリエッタ・マリア。 フランスから嫁いできた人です。 市民革命で王統派が負けて王様が掴まり、そして家族は国外追放となり、 生まれ故郷フランスへ帰りました。 夫チャールズの処刑の知らせもフランスで知ったようです。 ヘンリエッタ・マリアがまだ赤ちゃんだった時に 父親のアンリ4世は暗殺されました。 大事な家族をこのような形で亡くした彼女の人生はどんなだったでしょう? この青のドレスがとても美しいですね。うっとりぃ〜。 ドレスというより、ヴァン・ダイクの青。ですゎ〜。 そもそも、彼女はチャールズの最初のお妃候補ではなかったようです。 皇太子チャールズはスペインへお嫁さん探しに23歳の時に 父、ジェームス一世の寵愛を受けていた バッキンガム公爵と出かけました。 その途中、フランスに寄り、そこでヘンリエッタ・マリアに出会ってますが、 目的はスペインからお妃だったので、気にもとめず。 ですが、スペイン側からの条件が良くなくて、話は流れ、 そこでフランスのお姫様に白羽の矢が。 チャールズ一世が王様になってすぐ、結婚。 ですが、この結婚は、最初はうまくいきませんでした。 まず、ヘンリエッタ・マリアはカソリックでしたので、 英国国教会であるイギリスでは不人気。 彼女も英国国教会の教会での結婚式は望みませんでした。 チャールズがウエストミンスター寺院で戴冠式をあげる時、 彼女の列席は許されませんでした。 そして、英語をまったく喋らず、話そうという気もさらさらなかったようです。 結婚して20年たっても、 英語の読み書きや会話に不自由したそうです。 ちょっと、スノッブでもあったかも。 当時、宮廷ではフランス語が洗練された言葉として使われてたそうですから、 わざわざ英語なんか覚えてられないわぁ〜みたいな 態度だったかも。 それから、浪費家。 これですよねー、不人気の原因。 結婚の時、ヘンリエッタ・マリアは たくさんの持参金、美術品、衣装を持ってきたそうです。 フランス、お金持ちだったんですねぇ。 贅沢して育ったんでしょうねぇ。 結婚当初の金遣いは相当なものだったらしいです。 でも〜、夫があんなだし。。。 愛人みたいな、我が物顔の彼氏がいつもそばにいる! 嫁探しの時に同行したバッキンガム公爵、ジョージ・ヴィリアーズです。 あの画家のルーベンスも 二人の行く末、イギリスの行く末を とっても心配していたようです。 なぜなら、ジョージ・ヴィリアーズはとても傲慢で その影響を受けた若い王は破滅へ向かってるって ルーベンスは心配してました。 そんなわけですから、 買い物で、憂さ晴らしでもしないと。。。ってかんじかしら? なにしろ、結婚した時は15歳でした。 浪費も、彼女にとっては必要不可欠みたいなものだったのでしょう。 結婚した夫が自分に見向きもしないというのは、 彼女だけではなく、彼女の母も同じ経験をしていました。 この人の母親はメディチ家出身の マリー・ド・メディシスで フランスに嫁いできたはいいが、 夫には愛人がいて辛い思いもいろいろあったようです。 フランスの王様に愛人や妾は当然といったところでしょうか。 優秀な愛人は影で政権も握ったりしますからね。 この場合は、愛人がとても計算高い策士?だったようです。 さて、王様のお気に入り、ジョージ・ヴィリアーズは暗殺されました。 それ以後、チャールズ一世はヘンリエッタ・マリアに向き合い、 信頼関係を築き ヘンリエッタ・マリアは良き相談相手となっていったようです。 実はそんなに簡単ではなかったようですが。。。。 ヘンリエッタ・マリアがフランスから連れてきた取り巻きが チャールズとの仲を邪魔していたようで、 チャールズ一世は武力でその取り巻きを追い払ったりしたようです。 ルーベンスの弟子のヴァン・ダイクがたくさん肖像画を描いています。 ヴァン・ダイクが描くから美しいのか、 あるいはちょっと良く描きすぎたのか、 それとも本当に綺麗でやっかみなのか。。。。はわかりませんが、 チャールズの姪がヘンリエッタ・マリアをこのように表現してます。 「肖像画であれほど美しくすらっとしていたイングランド王妃は 実際にお会いしてみると、ひょろ長い痩せた腕、 かしげた肩、さらにまるで牙のように 口からはみ出した歯をしたかたでした。」 だそうですよ。 ウキペディア から。 さて、真相はいかに。 内戦の前まで、好き勝手に浪費を続けていたそうですが、 内戦中は自分の真珠や宝石を売ったりして、 戦争資金の工面をしたりしたようです。 彼女はチャールズ一世と同じように 芸術愛好家でもありました。 グリニッチにあるクィーンズ・ハウスはもともと お姑さんの宮殿ですが、 彼女が引き継ぎ、完成させました。 白い建物がクィーンズ・ハウス。 2015年2月の丘からの眺め。 ここは 螺旋階段が有名です。 イニゴー・ジョーンズという建築家によります。 イギリスで初めてのパラディオ建築だそうです。 パラディオ建築というのは ベニスの建築家アンドレア・パラディオの影響を受けた建築様式です。 イニゴー・ジョーンズはグランド・ツアーに出かけて イタリアで修行してきました。 イギリス建築においてとても重要だそうです。 さて、夫の愛人も死に、自分の取り巻きもいなくなり、 二人は仲良くなりまして、大変よろしいですねぇ。 ヴァン・ダイクが描いた家族の肖像画をみてみましょ。 にほんブログ村
by daisukilondon
| 2015-02-05 02:47
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