浮気に復讐、アリエノール・ダキテーヌ |
カレンダー
最新の記事
以前の記事
2016年 09月 2016年 06月 2016年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 記事ランキング
カテゴリ
全体 大英博物館 絵画 誕生日 シアター V&A Museum 王家の歴史 散策 博物館 街角の彫刻 イギリス郊外 ヴィクトリア時代 セルフリッジズ ハンプトンコート・フラワーショー チェルシー・フラワーショー ガーデニング 市場 ロンドン塔 イギリスの歴史 マイナーな素晴らしい絵 歴史上の人物 コッツウォルズ シティの教会 スキャンダル 愛と憎しみ 歴史ゴシップ お菓子 未分類 お気に入りブログ
外部リンク
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
2015年 02月 08日
アリエノール・ダキテーヌは フランス人で Aliénor d'Aquitaine ですが、 英語だと Eleanor of Aquitaine となって、 エレノア・オブ・アクイテインです。 名前のスペルまでちがいますが、 同じ人で、1122−1204年までの人生を送り、 イギリスの王様、ヘンリ−2世のお妃でした。 親から相続した、ものすごい広大な領土をもっていて、 ヘンリーと結婚したことで、また領土拡大。 フランスの王様よりも領土を持ってたそうです。 結婚20年の末、 夫の浮気に怒り、 それが原因か、たぶんそれが原因。。かも、 とにかく、息子3人をけしかけて 息子たちと一緒に 夫に反逆!!しました。 エレノアは12世紀、 ヨーロッパで最も勢力のあった アクイテイン家のウイリアム10世の娘として生まれました。 アクイテイン家は中世の頃のフランスの四分の1の領土を 持っていたそうです。 父が亡くなり、その領土を相続しました。 フランス王ルイ6世は チャンスとばかり、息子とエレノアを婚約させました。 二人が結婚した次の日に、 ルイ6世も亡くなり、 ルイ7世とエレノアの支配下に フランスとアクイテインが置かれるようになりました。 エレノアが15歳の時です。 二人は性格も趣味も違っていて 結婚はうまくいきませんでした。 エレノアは社交的で旅行好き。芸術への理解もあり、 いろんなことに楽しみを見つけるタイプ。 ルイ7世は内向的で、質素な食事、暮らしに満足。 ですから、ルイ7世はそんな派手なエレノアが苦手で、 奥さんを怖がっているような感じが 宮廷の誰もが認めるところだったそうです。 夫が第2回十字軍の遠征に出かけるときに 一緒に行く!!といって、聞きませんでした。 それは大好きな叔父がいて その人について行きたかったからのようです。 ですが、十字軍の遠征も結婚も失敗に終わりました。 離婚ではなく近親婚ということで、無効となりました。 さて、次なる夫は、 絶対自分で見つけると決めたエレノア。 見初めたのはノルマンディー公ヘンリー。 1152年、ヘンリーに手紙をしたためました。 「イギリスを攻め入るより私と結婚して!」と。 ノルマンディー家とアクイテイン家の結婚は 先の夫のルイ7世を恥ずしめるような行為でした。 そして、1154年、イギリス王スティーヴンが亡くなって、 王位継承権をもっていた ヘンリーがヘンリー2世となりました。 (ヘンリー1世は祖父、スティーヴンは叔父) 子供には沢山恵まれ、 ヘンリー2世は 息子たちをチェスの駒を動かすかのごとく うまく戦略に使ってると思ってたでしょうが、。。。 トーマス・ベケット暗殺や、 末っ子のジョンへの溺愛ぶりの偏愛、 妻を裏切っての浮気などなど 息子たちの不信感を募り。。。。 ついに、 妻と息子達に反旗を翻されてしまいました。 お妃のエレノアが息子たちをそそのかしての反乱なようで、 夫に、復讐してやる!! みたいな。。。 その後 エレノアは息子たちをそそのかした罪で15年間 幽閉されました。 さて、さて、その浮気ですが。。。 エレノアはとても美しい女性だったようですが、 ヘンリーより11歳年上でした。 ヘンリー2世が40歳ごろ浮気します。 そんな屈辱は気位も高かったエレノアには受け入れ難かったと思います。 もちろん、浮気は秘密ですが、 すぐばれますね。。。 相手は、その美しさから、 フェア・ロザモンドと呼ばれた貴族の子女。 嫉妬深い王妃の目から隠すために ウッドストックの森に離宮をつくり、 内部を迷路のように仕組んだそうです。 ロザモンドの部屋には細い絹糸を辿っていいかないといけない。。。 ありゃりゃりゃ、、、 その糸をたどって、奥さんのエレノアが来ちゃったじゃない。!!(爆) そして、奥さんのエレノアはロザモンドに詰め寄ります。 「お前をこの短剣で殺すか、 お前がこの毒を飲んで死ぬか、どうする。」と。 ロザモンドんは毒をあおって死んでしましましたとさ。 このロザモンドは実在の人物のようですが お話は作り話のようです。。。。 でも、お妃がそれほど、嫉妬深く執念深かった事を表してるかもね。 ちなみに、そのロザモンドの離宮があったウッドストックの森は ブレナム宮殿が建つあたりです。 この敷地の中に ロザモンドの井戸というのがあります。 エレノアの一番のお気に入りの息子は、 気性も自分に似ていた リチャード。 ヘンリー2世の亡き後には リチャード獅子王と呼ばれ、 十字軍の遠征に年月を費やしました。 その間、イギリスを治めていたのが エレノアです。 何年も幽閉されていたにもかかわらず エレノアの知力は衰えることなく 息子の地位を守る為に頑張りました。 守るだけでなく、 ヨーロッパに外交交渉にでかけ 彼女のパワーを印象づけました。 リチャードが帰国の際、捕まって、人質になった時 莫大な釈放金を捻出して リチャードを取り戻し、 その後ジョンの時代になっても 外交に出かけ、孫とスペイン王との婚姻を取り決めたりしました。 82歳でなくなるまで精力的に活動したようです。 ヨーロッパで最もパワフルな女性だったと言われてます。 よろしかったらクリックおねがいします。
by daisukilondon
| 2015-02-08 04:50
| 王家の歴史
|
ファン申請 |
||