ブレナム宮殿は
マールバラ公爵の宮殿です。
11代目が今も住む宮殿です。
この宮殿は
アン女王からの戦争に勝ったご褒美として送られたものです。
1704年のブレンハイムの戦い。
スペインの王位継承を巡る争いで、
ドナウ川流域のブレンハイム、
英語でブレナムで、モールバラ公爵は
ルイ14世の敵軍を破り、勝利を収めました。
アン女王は お気に入りの公爵に、
喜んで、領地と館を建てる費用を与えました。
その敷地は成田空港の6倍の広さだそうです。
ブレナムパレスの敷地。広〜い。
それでも足りなくて、
もっとプレゼントしたかったみたいだけど、
議会から止められたようです。
そもそも、公爵の称号も与えられたもの。
連合軍指揮官ジョン・チャーチルは
この戦いの2年前の戦いでもフランスを撃退していて、
そのときに初代モールバラ公爵に 叙爵。
アン女王は、それに加えて、5000ポンドの年金を与え、
終身年金とするよう議会に求めたそうですが、
却下されたようです。。。。
まあ、素晴らしいご褒美の数々、
さぞかし、このモールバラ公爵はハンサムで
アン女王のお気に入りだったんでしょうねぇ〜。
モールバラ公爵
と、
ゴシップ的に思ってしまいますが、
そうではないんです。
アン女王の本当のお気に入りは
このモールバラ公爵の奥さん、サラなんです。!!!!
サラの旦那だから、ご褒美上げるよ。
サラの屋敷になるんだもん、カッコイイ屋敷 建てて上げるよ。
と、サラ、サラ、サラ、サラ、サラと
サラが大・大・大好き。
サラ
でもねぇ〜、
こんなご褒美貰ったら、
妬まれるよねー、それが世の常。。。。
いろんな中傷が飛び交い、
二人の間に亀裂が生じます。
サラが誤解を解くために
女王の面会を申し出ても
決して会ってはくれなかったそうです。
あんなに溺愛してたのに、
だからこそ、その逆転は深〜〜く、冷たい。
モールバラ公爵も失脚。
そんで、建設中の
ブレナム宮殿の建設費用も打ち切り。
完成は自費で仕上げたそうです。
始めにきちっと、書面で金額が記された物ががあれば良かったでしょうが、
よもや女王のお気に入りから 失脚することは夢にも思っておらず、
なにもなかったのだそうです。
まあ、そんな書状によって合意をとりつけた暁には
二人の関係を疑ってるみたいで、
それこそ、その時点で、失脚したかもしれませんね。
現在のブレナム宮殿。
昨日撮りたてホヤホヤの写真。
どお〜〜〜んと、
威厳のあります建物です。
建築家ジョン・ヴァンブラによって建てられました。
建物は、女王の栄光をたたえ、ブレナムの勝利を記念する、
威厳のある建物でなくてはいけない。
という考えだそうです。
アン女王はかわいそうな人で、
17回も妊娠しても
子どもが成人してません。
流産6回、死産6回、
生まれた子どもも病弱で
一番長く生きた子どもでも11歳で亡くなってます。
かわいそうですね。
辛かったと思います。
酒にも溺れるかもね。
ブランデーが大好きだったようで、
あだ名は、ブランデー・ナンだそうです。
酒肥りか、
肥満過ぎで歩けなくって、
車いすの生活だったとか。
よく言われているのが、
亡くなった時の棺は
正方形だった。ってこと。(汗っ。)
このアン女王の時代に、
スコットランドとイングランドの連合王国となりました。
1707年 Act of Union 連合法によって、
グレートブリテンになり、
議会は統一され、一つの国家となりました。
ですが、
1999年にスコットランドの議会は復活しました。
そして、
2014年9月18日には
スコットランドの独立を巡っての
国民投票があります。
どうなることでしょう。
ちなみに、
このブレナムパレスで、
モールバラ公爵の家系の
ウインストン・チャーチルは生まれました。
このパレスで、奥さんにプロポーズしたところでもある
チャーチルゆかりの地ですから
観光客は絶えません。
チャーチルの話は また次回。
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