エドワード六世 |
ジェーン・シーモアをお妃と向かえ
めでたく生まれたのがエドワード。
エドワードが10歳のときに
ヘンリー八世がなくなり、エドワード六世として即位します。
まだ、子どもなのでおじさんの
エドワード・シーモアがロード・プロテクター(護国卿)となります。
『フフフ。。。この時をまっていたよ。』
と、言ったことでしょうね。
なにしろ、ヘンリー八世がジェーンを
ウルフ・ホールで見初めた時から、
チャンス到来!と虎視眈々と狙ってたわけですから。
それまで、自分の娘の名前さえ覚えてないような
エドワード・シーモアです。
役立たずと思ってたら、これ意外な展開。。。みたいな。
それで、ヘンリー八世のお妃になるし、
男の世継ぎを生むし、
そのときにジェーンが死んだとこも
戦略的に好都合と喜んだに違いありません。
この時代、お産の時に亡くなる人は多かったようです。
でも、それを悲しみとはとらえず、
新しい生命を産み落として死ぬということは
喜ぶべき?ことだったようです。
子どももすぐ死ぬことが多かったそうで、
今の時代から考えると多分不衛生が原因のようです。
当時、衛生観念はあまりなく、
でも、ヘンリー八世はその時代には珍しく、
衛生管理に気を使って、エドワードの部屋の床を
毎日ブラシで洗わせたりしたそうです。
大事なお世継ぎですからね。
そんで、そのヘンリー八世も、
都合良く亡くなってくれて、エドワード・シーモアにしてみれば、
自分の時代がやってきた!!と思ったでしょうね。
ちゃっちゃっちゃっと、サマーセット公爵にもなっちゃって。
ところで、ヘンリー八世ですが、
ジェーン・シーモアが亡くなった後の10年間で
3人奥さん迎えてます。
これまた、一口で言えないドラマがあります。
(それはまた、あとで〜〜。)
エドワード六世の時代に
英国国教会が確率されて行きます。
まず、英訳の祈禱書(Book of Common prayer)を配布します。
教会でのお祈りの仕方やお祈りの言葉を教えたものだそうです。
ウイリアム・ティンダルの新約聖書1552年に発行。
表紙にはエドワード六世の顔が印刷されてます。
そして、この絵ですが、
Edward VI and the Pope (National Portrait Gallery, London)
左側に死にかけたヘンリー八世。
『英国国教会、引き継ぎ頼んだぞ〜。』と指を息子のほうへ。
真ん中に座ってるのエドワード6世。
そのとなりが、おじさんのロード・プロテクターであるエドワード・シーモア。
手前のピンクの首曲げてるのがローマ教皇。
頭の上に開いた本がガーン!!と直撃!。
THE WORDE OF[THE] LORD ENDURET[H] FOREVER
と書いてあるそうで、
「神の言葉は永遠に残る」ですかね。
本が教皇の頭に直撃というなんとも衝撃的な、。。。ははは。
特にこの時代にあって。。。
神様の次にはローマ教皇ではなく王様です。
1534年にヘンリ八世が国王至上法を発令してますから。
「僕たちは僕たちでやるから、君、もういらない。!!」って。
(「僕たちヨーロッパ加盟国だけど、ユーロは使わないからっ!!」)
みたいな?(へへっ)
そして、もっと英国国教会を強化するためにも、
自分の後継者はジェーン・グレイに指摘。
だって。。異母兄弟のメアリーはカソリックだし、
エリザベスはプロテスタントだったけど。。。。
やはり、私欲をむさぼる陰謀が絡んでたのね。
これがジェーンにとっての災いの始まり。
エドワード六世は病気で亡くなり、
ジェーン・グレイは女王になるも9日間だけ。
のち処刑されてしまいました。