流行りの唇、ヴィクトリア時代 |
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2015年 01月 25日
ヴィクトリア時代、 ラファエル前派の画家ロセッティは 女性の美しさを彼の理想とする美しさで描きました。 それが、その時代に流行となったようです。 彼が描く、絶世の美女 とは 情熱的な赤毛で、 (不自然なほど)ふっくらした唇。 不自然なふっくら唇は最近の流行でもありましたね。。。。 それから、長〜い首、だそうです。 と、こんな感じ。 Dante Gabriel Rossetti's La Ghirlandata この絵は、シティ・オブ・ロンドンにある Guildhall Art Gallery で見れます。 入場無料。 ハープを弾いています。 絵画での楽器は 愛とか愛の営みを暗示します。 愛を奏でる。。かしら? その周りに、バラとハニーサックルは 色気や性的魅力を表します。 こっちを見つめて。。 誘いかけてるみたいな。。。 この絵のモデルは Alexa Wilding だそうで、 赤毛で真っ赤な膨らんだくちびる。 キスしたくなる唇なのかしら? 首も長すぎ ない? 上の天使二人はウイリアム・モリスとジェーンの 娘がモデルだそうです。 ジェーンはロセッティが生涯愛していた女性です。 この絵のモデルのアレクサもジェーンに似てる。。 ジェーンをモデルにした絵は、 「プロセルピーナ」 この絵については、パブの肴 で 同僚ガイドのミキちゃんが詳しく説明してます。 アレクサの唇も、ジェーンと一緒。そのままだわ。 さて〜、今の流行もふっくらとした唇が流行ってますね。 わざとなんかを注入して膨らましたり、 あるいは、リップグロスも 膨らんだ唇に見えるようなのが流行ってたり。 でも、このヴィクトリア時代は 日本は幕末から明治時代へ。 そのころの 日本女性の唇は 薄くっておちょぼ口が 美人なかんじですね。 美人画とか、浮世絵とか見ると、 みんな口ちっちゃい。 その時、その時で美人のイメージもかわりますね。 平安時代の下膨れ美人や、 話が大きく飛んで、 ルーベンスの描く女性の裸体像の美人とか 今とは全然ちがーいますね。 ↑こちらのブログにあった ↓の絵、 超〜うけました。。。ほとんど、感動に近い。 スカートが薔薇!! 斬新なデザイン!! わぉーっです。 (爆) そんなわけで、 今も、昔も 流行はメディア、マスコミによって、作り出されたもの ということですね。 ちゃんちゃんっ ♩ よろしかったらクリックお願いします。 ▲
by daisukilondon
| 2015-01-25 02:50
| ヴィクトリア時代
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2014年 11月 28日
その昔、 ”古女房〜、いらんかね〜”って、 奥さんに縄つけて、夫は奥さんを市場に売りに行ったそうです。 1857年まで (!!) その行為は合法だったそうです。 Whaaaaaatttっっっ!?!?!? 市場に連れて行って 競りで売ったそうです。 買う人もいたわけですね。 人身売買ってことで、信じられないですが、 離婚が難しかったそうですから、 甲斐性のない夫から逃れるための唯一の方法でもあったらしく、 奥さんから、夫に自分を「売りに出せ」と言いだすこともあったらしいです。 16世紀にヘンリー八世が離婚調停してるので、 イギリスでは離婚がしやすかったのかと思いきや、 手続きが難しく離婚は簡単ではなかったようです。 裕福な人々にしかできないことだったらしいです。 妻を売るなんて、なんて勝手な夫じゃ!とも思いますが、 そうでもなくて、 新しい生活を求める妻が夫と別れるために、あるいは家庭内暴力から逃れるために、 「売り」を希望したり、 すでに不倫して、不倫相手に自分を買ってもらったりとか。。。 それを合法にするために、 人の集まる市場で競りで売り、人々に もう、自分の妻じゃないから、責任ないし。。。みたいに認識させたそうです。 ”早い戻し” はないっよって 事ですね。(汗)```` 不倫相手も元夫から賠償金とか 迫られることもないので 都合がよかったりとか。 縄じゃなくて、リボンでつながれたりもあったそうです。 これは妻売りのいい例でしょうが、 実際は 貧困のため妻を売ったそうです。 それは ショック。 結婚によって、女性は財産は一切なく、 すべて夫の管理下に置かれたそうです。 だから、 ジェーン・オースティンの「自負と偏見」でも お母さんが嘆いていましたね。。。。。 もし、ミスター・ベネット(夫)が亡くなってしまったら、 財産がいとこの ミスター・コリンズにいってしまう。。。 だから、娘を彼の元に嫁がせようとしたのに。。 ジェーンが断るから他の人の方にいってしまった。。。。って。 女性には相続権すらなかったんですね。 のことが書いてますから、見たい人はどうぞ。 奥さんを売ってる夫の頭に角がついていますね。 寝取られ男のシンボルだそうですよ。 はい、はい、ここにもいますよ〜。 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ▲
by daisukilondon
| 2014-11-28 00:59
| ヴィクトリア時代
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2014年 09月 09日
ヴィクトリア時代、 人々を恐怖に陥れた 切り裂きジャックが 126年経って判明されたそうです。 ヴィクトリア時代の下町、イーストエンド。 今の金融の街、ザ・シティの隣の地域。 人々の生活は貧しく、 生活のためというよりも、 一夜の宿賃さえなく、寝床を得るために 通りには娼婦が徘徊していたそうです。 その娼婦達が連続して殺害されました。 首がざっくりとナイフで切り裂かれ 内蔵が取り出されていたそうです。 5人の女性が殺害された猟奇事件でしたが、 事件は迷宮入り。 それ以来、たくさんの人が事件解明に取り組んだり、 ドラマ化されたり。 現在でも、 ジャック・ザ・リッパー・ツアーというのがあって、 事件現場を訪ねて回るウォーキング・ツアーだってあります。 ポーランドからの移民の アーロン・コスミンスキーという床屋が犯人だそう。 DNA検査によって、確信的だそうです。 という説をといているのが、 Russell Edwardsさんで、 'Naming Jack the Ripper' という本が 本日、9月9日2014年発売なんですと。 DNA検査のはなし の記事が上をクリックすると読めます。 なんでも、このラッセル・エドワーズ氏が オークションで、 ジャック・ザ・リッパーによって殺害された キャサリン・エドーズのもとと思われる 血の付いたショールを買ったそうです。 この人はアマチュアのリッパーロロジスト、 'ripperologists' ジャック・ザ・リッパー研究家ってとこですかね。 いるんだね、そんな人たち。 ショールについている血のDNAが キャサリン・エドーズの子孫とマッチしたそうです。 この子孫、自分の曾曾おばあちゃんが娼婦で、 しかも切り裂きジャックに殺されたなんて 知っていたのかな。。。。。 このショールは結構上等なものらしく、 貧しい娼婦の持ち物とは思われないそうですが、 現場にあり、たぶん犯人からのプレゼントと思われるそうです。 その夜、現場に立ち合ったおまわりさんが そのショールを奥さんにプレゼントしようと 持ち帰ったそうです。 え””〜〜??? (まあねぇ、当時は物の無い時代ですし、貧しいですし、 上等なショールならばですねぇ、 妻に持ってってやろうかな?なんて。。。。。 思うか?ふつう?血の付いたショールですよっ。 と、ひとりツッコミたくもなります。) 当然、妻は血の付いたショールなんて 気持ち悪い!!ってんで、 着なかったそうです。 そこで、普通は捨てるよね。 でも、洗わず取っておいて、 何代にも渡って受け継がれて行って、 2007年にオークションにかけられたそうです。 ホントぉ〜〜〜???? で、そのショールに付いていた 射精したときに付着した体内の皮? みたいなの?からDNA調べて、 床屋コスミンスキーの子孫とマッチしたそうです。 この床屋コスミンスキーは 精神病院で亡くなったそうです。 見つかるんだね、子孫。。。。 なので、エドワーズ氏曰く、 「疑いの余地はない!!」と断言。 でも、リッパーロロジストの権威?であります、 ジャック・ザ・リッパー・ツアーも行ないます リチャード・コッブ氏は 「100年以上の間にいろんな人が このショールを触ってるし、 DNAがどうのこうの、なんて 信憑性にかけるね。」って言ってるそうです。 昔読んだ本で、 「検死官」シリーズの作家パトリシアコーンウェルが 書いた、「切り裂きジャック」があります。 彼女も『リッパロロジスト』だったんですね。 彼女の説では、紙を研究して、 犯人を割り出していました。 犯人は警察を挑発な手紙とか送っていたので、 その紙質を研究したようで、 画家のウォルター・シッカートが犯人としてます。 さて、真相はいかに。。。 よろしかったらクリックしてくださいませ。 ▲
by daisukilondon
| 2014-09-09 23:24
| ヴィクトリア時代
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2014年 07月 01日
産業革命の後、
ヴィクトリア時代には中流階級が増えました。 1851年には万国博覧会もあり、 人々の購買意欲も増し、 それまでは節約や倹約が美徳だったのが、 浪費が美徳となりました。 それまで、貴族しか買えなかったような物が、 中流階級ににも大量生産のおかげで 買えるようになったのです。 家の中のインテリアにも凝り、 いろんなものが、所狭しとばかりに飾り立てられました。 その、ヴィクトリア時代の家の中には 隠れた殺し屋が、死神が潜んでいました。 突然死する人が多かったそうです。 BBC の iplayer のhistoryで 「Hidden Killers of the Victorian Home」という番組を見ました。 とても興味深かったです。 そこからのお話をお伝えします。 まずは、リヴィングルームに潜む殺し屋から。。。 『LIVING ROOM DANGER』 それは、 『WALL PAPER』 この時代にガスライトが出来て、家の中にも明かりがともり、 派手な色合いの壁紙が流行りました。 by William Morris 壁紙の生産量は1834年には百万ロールだったのが 1874年までには3千万ロールに増えたそうです。 特に GREEN の色が好まれたようです。 by William Morris ところが、これが。。。 この時代の緑の色にはヒ素が使われているそうです。 壁紙が売れて、偶然にも人々の突然死がふえたそうです。 コレラの症状にもヒ素の中毒症状は似ているのだそうです。 激しい嘔吐、下痢。 壁紙からのヒ素のガスが発生し、湿った壁紙にカビが生えて、 そのヒ素のカビが空気中に舞い、それを吸い中毒になり死亡。 でも、それとは知らず、「ミステリーな死」と思われていたようです。 ウイリアム・モリスの壁紙のデザインは有名ですね。 素敵なデザインがたくさんあります。 アート・アンド・クラフトの運動の中心人物であったことは 知られてますが、。。。彼は、 ヒ素の最大採鉱地の取締役でもあったようです。 へぇ〜〜〜。 のち、壁紙の染め粉に使われるヒ素が原因らしいのが分かっても、 禁止にはならなかったらしいです。 人々が危険だというので、買わなくなって生産も減ったそうです。 一体どれぐらいの人々がヒ素中毒で死んだかは、分からないそうです。 つぎは、 『 BED ROOM 』編 『コルセット』 当時の女性の服は約6キロぐらいあったそうで、 その下にコルセットをギュうーっと締めました。 細いウエストが美人の印。 「いい夫を見つけたければウエストを細くしなさい」と 母は娘に言ったそうです。 メタルアイレット、鳩目が発明されて、 それによって、ギュウギュウとコルセットは 締め付けることが出来るようになりました。 肝臓や胃が圧迫され、妊婦でさえコルセットをしたそうです。 コルセットがマナーということで、 どんなときでも、どんなところでもコルセットをしなければ いけなかったようです。 コルセットをしないと、だらしない女性と思われたようです。 死神がコルセットを締めているイラストがあります。 ![]() ドレスはぶわ〜〜〜っと膨らみました。 ![]() V & Aからイメージ借用 ![]() V & A Corsets & Crinolines (←リンク) このクレノリンというペチコートを下に着ました。 馬のしっぽの毛とリネンで出来ているから、 クレン(フランス語でホースヘアから)とリネンで クレノリンだそーです。 これで死んだ人もたくさんいたようです。 なにしろドレスの裾が広がってるもんですから、 暖炉の火が燃え移ったりして焼けどしたり、 焼死したりしたそうです。 (助かった話もあります。 橋の上から投身自殺しようとした女性が このドレスがパラシュートの役目をして助かったとか。。。) はははー。。。 『 Nursery 』 『子ども部屋』編 1880年から1890年までの間に154,000人の子どもが 亡くなったそうです。 おもちゃに使われるペンキに鉛が使われました。 木をよく保つんだそうです。 でも、それを噛み噛み、舐め舐めする子どもは 毒を食べてるようなもの。 1920年までには他国でペンキに鉛が使われるのは 禁止になったそうですが、この国の政府はほっておいたそうです。 あと、ミルクボトルが発明されて、 ![]() 母乳よりも、っていうか、 母親は乳母に預けて乳母の乳、飲ませてたらしいけど、 ボトルでミルクを飲ませるのが良しとされ流行ったそうです。 でも、清潔じゃなかったから、 バクテリアが繁殖して、 それで赤ちゃん死んじゃったそうです。 15%の赤ちゃんが一才になる前に死んでしまったそうです。 えーっ!?!、今だったら、直に ”Health and Safety !!”ってなんでもうるさいのにね。 こんな昔があるから、今の安全があるんですね。 よろしかったらクリックしてくださいませ。 ![]() にほんブログ村 ![]() 旅行・観光 ブログランキングへ ▲
by daisukilondon
| 2014-07-01 08:43
| ヴィクトリア時代
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