ウエリントン・ブーツ |
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2016年 03月 01日
長靴。 あるいは、 ウエリントン・ブーツは 長靴をつくらせた、ウエリントン公爵から名前がつきました。 ウエリントン公爵、または ウエリントン将軍として知られてます。 去年2015年は、ワーテルローの戦い の200年記念でした。 ゴヤが描いたウエリントン将軍。 年代からすると、ナポレオン軍を破る前の年の顔。 将軍が45歳頃のお顔。です。 トーマス・ローレンスが同じ頃に描いた 将軍の肖像画もありますので、 のちに比べてみたいと思います。 ナポレオン軍を1815年に破りイギリスに勝利を導きました。 実際の戦闘地はワーテルローから南南東5キロのあたりだそうで、 でも、イギリス軍の司令地があったところが、 ベルギーのワーテルローなので、 ウエリントン将軍が ワーテルローの戦いと命名。 英語では、 Battle of Waterloo なので、 ウォタールーの戦い と言います。 ウォタールーの戦い をちょっと検索してたら、 裏話を書いた人のブログを見つけました。 へぇ〜。 で、ウエリントン・ブーツの話に戻りますが、 騎兵たちには脛(すね)の怪我が多かったそうです。 なので、脛を覆う乗馬靴を王室御用達の靴職人に依頼したそうです。 ですから、今でこそ ゴム長靴の代名詞ですが、 はじめは革製。 将軍の活躍もあって、カッコイイし、 王室御用達の店の作る しかも実用的なブーツ。 イギリス紳士はこぞって、このブーツを履くようになり、 しかも、伊達男としてしられる ブルンメルがそれを粋に着こなし、(履きこなし?) 大流行!!! こちらものぞいてね。↓(過去のブログ) それがゴム長靴になりましたのは、 ゴムがイギリスにやってきて。。。。 ゴムで防水加工のブーツが作られ、 それまで木靴を履いていた農民たちに大受け。 乾いた足で家に帰れる。。。。って。 ゴムの歴史についてこちら参照してください。↓ まあ、簡単にまとめると 偶然の発見からゴムが弾力性のあるものに 加工されていったようです。 そして、第一次世界大戦の時に 今の ハンターブーツ社が長靴の依頼を受けて。。。 なにしろ、ぬかるみで働く農民たちが使って実用性は証明済み。 それならば、ぬかるみの戦地でも大丈夫に違いないと 軍が発注して、 その期待に応えるべく 工場を昼夜作動させ、 昼夜作動させ!!!! (←繰り返し) 1,185,036足 を提供したとか。 (ウキペディアより) さてさて、そんなこんなで、 おしゃれなハンターブーツ。でも、 むかしは長靴ってやっぱりダサかったよねぇ。 今はおしゃれアイテムにまでなってるけどね。 モデルのケイト・モスが 野外コンサートのグラストンブリーで、 泥んこの中 (グラストンブリーの時期っていっつも雨降るね。) かっこよく履いていたのが パパラッチされてから み〜んな ハンターブーツ!!!って流行ってねぇ! でも、長靴って つま先ひえるでしょう〜、冬はだめでしょ〜っと。。。 いぃぃや、 そこは商売、 ちゃんと、フリースのうち履きもついてたりと、 やっぱり、いろいろ進化してますね。 と、いうことで、 ウエリントン将軍、この方、 のち 首相にもなりました。 時はウイリアム4世の時代です。 こちらも見てね。↓ ウイリアム4世が亡くなって 姪のヴィクトリアが18歳で女王となります。 ヴィクトリア女王をサポートしたりのいろいろ。 有名な 「寝室女官事件」!! の 仲裁をしたのも ウエリントン公爵。 「寝室女官事件」の話は、また次回!! 乞うご期待! なんちって。。。。 約1年ぶりに復活して書いたので。 今日はこれまで。 これから、続けるかもしれません。。。(あいまい。) #
by daisukilondon
| 2016-03-01 23:24
| 歴史上の人物
2015年 02月 08日
アリエノール・ダキテーヌは フランス人で Aliénor d'Aquitaine ですが、 英語だと Eleanor of Aquitaine となって、 エレノア・オブ・アクイテインです。 名前のスペルまでちがいますが、 同じ人で、1122−1204年までの人生を送り、 イギリスの王様、ヘンリ−2世のお妃でした。 親から相続した、ものすごい広大な領土をもっていて、 ヘンリーと結婚したことで、また領土拡大。 フランスの王様よりも領土を持ってたそうです。 結婚20年の末、 夫の浮気に怒り、 それが原因か、たぶんそれが原因。。かも、 とにかく、息子3人をけしかけて 息子たちと一緒に 夫に反逆!!しました。 エレノアは12世紀、 ヨーロッパで最も勢力のあった アクイテイン家のウイリアム10世の娘として生まれました。 アクイテイン家は中世の頃のフランスの四分の1の領土を 持っていたそうです。 父が亡くなり、その領土を相続しました。 フランス王ルイ6世は チャンスとばかり、息子とエレノアを婚約させました。 二人が結婚した次の日に、 ルイ6世も亡くなり、 ルイ7世とエレノアの支配下に フランスとアクイテインが置かれるようになりました。 エレノアが15歳の時です。 二人は性格も趣味も違っていて 結婚はうまくいきませんでした。 エレノアは社交的で旅行好き。芸術への理解もあり、 いろんなことに楽しみを見つけるタイプ。 ルイ7世は内向的で、質素な食事、暮らしに満足。 ですから、ルイ7世はそんな派手なエレノアが苦手で、 奥さんを怖がっているような感じが 宮廷の誰もが認めるところだったそうです。 夫が第2回十字軍の遠征に出かけるときに 一緒に行く!!といって、聞きませんでした。 それは大好きな叔父がいて その人について行きたかったからのようです。 ですが、十字軍の遠征も結婚も失敗に終わりました。 離婚ではなく近親婚ということで、無効となりました。 さて、次なる夫は、 絶対自分で見つけると決めたエレノア。 見初めたのはノルマンディー公ヘンリー。 1152年、ヘンリーに手紙をしたためました。 「イギリスを攻め入るより私と結婚して!」と。 ノルマンディー家とアクイテイン家の結婚は 先の夫のルイ7世を恥ずしめるような行為でした。 そして、1154年、イギリス王スティーヴンが亡くなって、 王位継承権をもっていた ヘンリーがヘンリー2世となりました。 (ヘンリー1世は祖父、スティーヴンは叔父) 子供には沢山恵まれ、 ヘンリー2世は 息子たちをチェスの駒を動かすかのごとく うまく戦略に使ってると思ってたでしょうが、。。。 トーマス・ベケット暗殺や、 末っ子のジョンへの溺愛ぶりの偏愛、 妻を裏切っての浮気などなど 息子たちの不信感を募り。。。。 ついに、 妻と息子達に反旗を翻されてしまいました。 お妃のエレノアが息子たちをそそのかしての反乱なようで、 夫に、復讐してやる!! みたいな。。。 その後 エレノアは息子たちをそそのかした罪で15年間 幽閉されました。 さて、さて、その浮気ですが。。。 エレノアはとても美しい女性だったようですが、 ヘンリーより11歳年上でした。 ヘンリー2世が40歳ごろ浮気します。 そんな屈辱は気位も高かったエレノアには受け入れ難かったと思います。 もちろん、浮気は秘密ですが、 すぐばれますね。。。 相手は、その美しさから、 フェア・ロザモンドと呼ばれた貴族の子女。 嫉妬深い王妃の目から隠すために ウッドストックの森に離宮をつくり、 内部を迷路のように仕組んだそうです。 ロザモンドの部屋には細い絹糸を辿っていいかないといけない。。。 ありゃりゃりゃ、、、 その糸をたどって、奥さんのエレノアが来ちゃったじゃない。!!(爆) そして、奥さんのエレノアはロザモンドに詰め寄ります。 「お前をこの短剣で殺すか、 お前がこの毒を飲んで死ぬか、どうする。」と。 ロザモンドんは毒をあおって死んでしましましたとさ。 このロザモンドは実在の人物のようですが お話は作り話のようです。。。。 でも、お妃がそれほど、嫉妬深く執念深かった事を表してるかもね。 ちなみに、そのロザモンドの離宮があったウッドストックの森は ブレナム宮殿が建つあたりです。 この敷地の中に ロザモンドの井戸というのがあります。 エレノアの一番のお気に入りの息子は、 気性も自分に似ていた リチャード。 ヘンリー2世の亡き後には リチャード獅子王と呼ばれ、 十字軍の遠征に年月を費やしました。 その間、イギリスを治めていたのが エレノアです。 何年も幽閉されていたにもかかわらず エレノアの知力は衰えることなく 息子の地位を守る為に頑張りました。 守るだけでなく、 ヨーロッパに外交交渉にでかけ 彼女のパワーを印象づけました。 リチャードが帰国の際、捕まって、人質になった時 莫大な釈放金を捻出して リチャードを取り戻し、 その後ジョンの時代になっても 外交に出かけ、孫とスペイン王との婚姻を取り決めたりしました。 82歳でなくなるまで精力的に活動したようです。 ヨーロッパで最もパワフルな女性だったと言われてます。 よろしかったらクリックおねがいします。 #
by daisukilondon
| 2015-02-08 04:50
| 王家の歴史
2015年 02月 07日
ニューヨーク の次の世界の金融の中心地、 ロンドンのシティは 最新のビルばかりではなく 歴史のある街ですから、古い教会もたくさんあります。 シティの中だけでも、教会の数 40以上あります。 そのひとつ、 St Helen Bishopsgate 1210年にベネディクト派の女子修道院が まず、建てられました。 13世紀からある、古い教会です。 1285年には エドワード1世自ら お供を連れて歩いてここに訪れ、 Neit という十字架を尼さんに渡す。 エドワード1世によると、 ウェールズで見つけたもので、 キリストが磔刑になった十字架の木から作られてものだ。 と、言ったそうです。 それから、この修道院の名前が Priory of the Holy Cross and St Helen と 名付けられたそうです。 聖ヘレナは 伝説によりますと 4世紀初め、ゴルゴダに巡礼し、 キリストが磔になった十字架を見つけたとされています。 私財を投じて、慈善活動し、教会設立などにつとめたので 聖人に祀られています。 シティの中にはたくさん教会がありますが、 この教会は13世紀の頃からの古い教会で、 1666年のロンドン大火でも生き残り、 (火は西に流れここは免れたらしいです。) 第二次世界大戦でも生き残り、 1992年の IRA の爆弾でも被害を受けたものの、 生き残りました。 すぐお隣は、 ジャ〜ん、チーズグレーター ビル。 "The Cheesegrater" 122 Leadenhall Street チーズのおろし金みたいだから、あだ名です。 なんでも、ビルにあだ名が付きます。 ロイズ保険のお向いさんよ。 この辺りの、彫刻散策の記事はこちら と、そんな近代的ビルの間に、生き残る教会。 この教会には有名な人が埋葬されています。 この金融の街において、とても重要人物。 トーマス・グレシャム Thomas Gresham 1566年に 為替取引所を設立しました。 のち、Royal Exchange 王立取引所。 「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則 で知られてる人です。 ウキペディア ←詳しく知りたい方はどうぞ。 要するに、 同じ金貨でも、金の含有量が少ないものと、多いものがあって、 額面価値が同じでも、 金貨の質が悪ければ、 人々は、質の良い金貨をしまっておいて、 質の悪い金貨を使いそれだけが流通していまう。 タンス貯金ばかりしてたら、経済がまわらんでしょっ。 ってことと似てるかしら? このグレシャムさん、すごい。 王室の海外負債管理を任され アントワープの取引所にでの金融操作で 負債の大部分を清算したそうです。 グレシャムさんの家紋は グラスホッパー、バッタです。 いまの王立取引所の建物は3代目だそうで、19世紀の頃のもので、 グレシャムさんの時代からではないですが、 風見鶏が バッタ。 ここで取引所ではなく、雑居ビル。 この外壁が情景に出てきましたね。 話、それましたが、 やはり、金融の街、為替市場で働く人々はストレスも大変でしょう。 この街の教会はいつも公開しています。 この教会の中にも昼休み、お祈りをする人がいたりしました。 あるいは、 またもう一つ、古い教会がありまして、。。。 そこでは、聖書についてのお勉強会とかがあって、 それに参加した人々でお昼を一緒に食べたり。。。。とか、 こんなシティにわざわざ来るのか?ママさんと幼児の集まり、 ドドラーズグループの場所として提供されてたり。。。 そちらは St Andrew Undershaft こちらも、1992年のIRAの爆弾からは免れましたが、 古いステンドグラスは壊されたそうです。 12世紀の頃から記録があり、建物は14世紀の頃からだそうです。 この教会のドアが中世っぽいですね。 このような教会の中庭も公開されてますから、 夏のお昼時 シティで働く人々の憩いの場所となります。 古い建物と、最新の建物とうまく共存する街です。 #
by daisukilondon
| 2015-02-07 03:01
| シティの教会
2015年 02月 07日
イギリス王室年表 ノルマン王朝
プランタジネット王朝
ランカスター王朝
ヨーク王朝
ランカスター王朝
ヨーク王朝
テューダー王朝
スチュアート王朝
1707年 グレートプリテンとなる。 ハノーヴァー王朝
ヴィクトリア王朝
サクス=コバーグ・アンド・ゴータ王朝
ウィンザー王朝 1917年に家名をウィンザー家と改名。 #
by daisukilondon
| 2015-02-07 01:28
| 王家の歴史
2015年 02月 07日
英国王室、 歴代の王様や女王様たち ゴシップに事欠きません。 今までの記事、 ゴシップに夢中になって、 年代とか記すの忘れてたりしました。💧 それに その時々で、気が向いた人物を取り上げて書いてますので、 記事も年代順ではありません。 全体の流れをつかめるように 王様の一覧表を作ってみました。 そこに 今までの記事をリンクしていますので、 年代がわかるかと思います。 年代順に読めます。 なにもリンクがないのは、 そのうち書きます。(笑)💧 随時、増やしていくつもりです。(たぶん。。) ↓こちら をどうぞ。 #
by daisukilondon
| 2015-02-07 01:27
| 王家の歴史
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